月: 2016年1月

David Bowie With Me

(前項「悲しみを拗らせ中」のつづきです)

これまで色々な所で発言してきたのですが、David Bowieの歌があったから生きてこられた、というような気持ちがオレにはあります。

つい最近も、APIA40の機関紙「あたふた」2015年11月号に、そんな内容の一文を載せてもらっておりますが。
特に10代の心の内側が荒れていた頃に、David Bowieの歌がオレのそばにいてくれたのは、本当に大きな救いでした。

そんなDavid Bowieに対する感謝の気持ちを歌った詞がオレにはあります。
David Bowieの曲『Rock’n’ Roll With Me』の歌詞を勝手に意訳したものです。

Rock’n’ Rollという部分をDavid Bowieに置き換えて聴いていただくと、より真意が伝わるかと思います。

これまでにいくつか洋楽曲に日本語の歌詞をつけて歌ってきましたが、David Bowieの曲を取り上げるのは、オレにとって最もハードルが高く難しい事でした。
ただ、この曲に日本語歌詞をつけてみようと決めてからは、不思議とスラスラと出来上がってしまったのです。

詞の内容は、ものすごく赤裸々にバカ正直に現在に至るまでのオレの生活、心情、状況などを歌ったものです。
これほど私的な内容の歌詞は、これまでに書いた事がありません。
で、何が言いたいのかというと・・・なんだ?(笑)
あぁ、David Bowieの死に接して、多くの方が、どれだけDvid Bowieを愛していたかとか、色々書き込みされていて、オレも何か書きたいんだけど、うまく書けなくて、だからね、これ聴いて下さい。

1年半ほど前に作ったものです。
最大限の感謝を込めて

ありがとう!


悲しみを拗らせ中

不思議軍隊長のどるたんです。

David Bowieの死を知ってから3回目の朝を迎えました。
正直な所、まだ全くと言っていいほどその事実を受け止めきれていません。

色々な人が発言しているような「スターマンが星に還った」という考え方も、なんだか素直に受け入れる事が出来ません。
「RIP」的な言葉も、今のところオレの口からは出てきそうにありません。

なぜならその事実を受け止めきれていないから。

思えば、「いつかこの日が来る」という事をオレは何度も頭の中でシミュレーションしてきました。

John Lennonが逝ってしまった時には、あまりにもショックが大きくて(たぶんこの人生で経験した、もっとも大きな悲しみと怒りはその時だったと思うのですが)随分と時間が経って、ある程度心が落ち着いてきた時に
「もしもDavid Bowieが逝ってしまったら、オレはどうなってしまうのだろう・・・」
と考えていました。

近年で言えば、Kevin Ayersが逝ってしまった時、Lou Reedが逝ってしまった時。
大きな悲しみが押し寄せて来る瞬間がありました。
そして、しっかりと彼らの音楽を聴き、歌い、ある意味ちゃんと死を受け止め、受け入れ、追悼モードに入る事が出来ました。
その時にも、少し時間が経ってから
「もしもDavid Bowieが逝ってしまったら、オレはどうなってしまうのだろう・・・」
と考えていたのです。

そして、ついにその時はやってきてしまったのですが・・・
さて、オレはどうしているかというと、ふつうです。

少なくとも表面的には、ふつうです。

と書いていたら、今、心の内側(肉体的にいえば心臓の辺り)がゾワゾワゾワとしてしまいましたが。

まあ、表面的には至ってふつうなのです。

だからしっかり追悼モードに入って、痛飲したりBowieの曲を聴きまくったり泣きあかしてしまったりした人の書き込みを見ると、ちょっと羨ましいような気持ちになってしまう事もあります。

この日をシミュレーションしていた時のオレは、「どれだけ大きな悲しみが襲ってくるのだろう」と恐れていたのですが、全くちゃんと悲しむ事が出来ません。
やってきたものがあまりにも大きすぎて逆に気がつかないのかも知れません。
受け止めきれないから表面的には気がつかないふりをしているだけなのかも知れません。

悲しみを拗らせているのでしょう。

なので、その前後のオレの行動を書いてみようかと思います。

David Bowieの死を知る前夜、発売されたばかりのBowieの新譜『★』をYouTubeで全曲聴き、「Lazarus」のPVを見ました。
YouTubeで、というあたりがファンとしては大失格なのですが、正直今のオレは、10円の金にも困る事があるぐらいの貧乏な生活をしていますので、お許し下さい。

その時、感じた事をTwitterでつぶやいております。

『david bowieの★ まぎれもなくオレの大好きなdavid bowieなんだけど、心の深い部分をえぐられるような痛みを感じてしまう。ちょっと聴くのがつらい。オレの受け取り方がいけないんだろうけど・・・時間をかけてじっくりつきあっていきたいと思います。』

そう、大好きな世界でした。
曲も、声も、全てが大好きなDavid Bowieでした。
特に伸びやかで艶のある声には、この歳にして!という驚きも感じました。

ただ、
この人は今でも(狂気の世界的な)ダークサイドに囚われているのだな。
穏やかな生活を手に入れたであろうと感じていたわけだけど、心の奥深い所は変わらないのだな。
なんだか悲しいな(嬉しくもあるけど)・・・一生こうなんだろうな。
でも、それが、オレの大好きなDavid Bowieなんだよな。

みたいなあれこれを勝手に考えてしまって、つらい気持ちになっていたのです。
それは、歌詞もまだよくわからずに、ビデオの印象、曲の印象だけから受け取った、勝手な勘違いであったと今では分かります。
翌日、その日はやってきました。

高井つよしのLIVEを見るためにAPIA40に向かったオレは、早めに現地に到着、近くの駐車場に車をぶち込み、iPhoneを手にすると、ニュースサイトで「デビッド・ボウイ氏死去」的な見出しを目にします。

一瞬思考停止。

とりあえずFacebookに「えっ!!?」とだけ書き込む。

ふだん、こういう、誰の事を言っているのか、何の事を言っているのか分からない、独り言的な書き込みって、目にするの好きじゃなくて、だから自分では絶対やらないようにしていたのですが、思考停止状態だったので仕方ありません。

そして、この件に関しては、これ以上の情報を、誰かの「RIP」的な書き込みで知りたくない、と即時判断し、Facebookを閉じ、信頼できる方(隠す必要もありませんね、belne先生です)のTwitterへと移動。
そこで、冷静に正確に書き込まれている情報により、しっかりとその時点で発表されている情報を知り、事実である事を確認しました。

車のシートを倒し、しばらくボーっとしていると、同じ頃訃報を知ったであろう、「オレのミック・ロンソン」ことリョウちゃんからLINE。
「どうしようデヴィッド・ボウイが死んじゃった」的な。

まだ全然(というか今も)悲しみにも襲われてなく、追悼モードにも入ってなかったオレたちは、ふつうにやりとりして、「20日にLa.mamaでボウイの曲やろうかな」「それはいい、オレも出たい」と、急遽20日(水)にLa.mamaで2人でボウイの曲をやることなどを、その場の流れで決定。

一応ちゃんと告知しておくと

1月20日(水)
渋谷La.mama

Natural Beat Depot vol.8
VOLOMUSIKS / 大野英樹 / どるたん / and more!!

OPEN/START 18:30/19:00
ADV/DOOR ¥2400+D/¥2900+D

今年1発目のLIVE
ひとりで弾き語りをするつもりだったんだけど、リョウちゃんと一緒に出ます。

まあ、そんな事も決まりつつ、まだ時間もあるので、ボーっとしつづけました。

今夜は人のLIVEを観る余裕ないかも・・・なんて考えも浮かびつつ、目を閉じていると、Bowieの歌が次々と頭の中に流れてきました。

少しすると、10代の頃、その歌たちを聴いていた時の、風景、匂い、そして気持ち等が一挙に、くっきりと、バンッという感じで心の中に浮かんだ瞬間がありました。
その時、少しだけ泣きました。

そんな風に軽くひと泣き出来たのが良かったのか、ちょっと気持ちを持ち直し
「大丈夫、この夜に高井つよしのLIVEを観られるなんてラッキーじゃん。」
ぐらいの気持ちで車を降り、APIA40に向かいました。
開演。
この日は4組が出演。

全く何ひとつ心に届かない歌を聴き。
他人の悲しみに勝手に脚色し、悲しいだろ?悲しいだろ?と押し売りするようなおぞましい歌を聴き。
そんな歌達を、不思議と平穏な気持ちで聴き流し。

その後、浅井永久の真摯な表現、言葉、演奏、そして歌をしっかりと受け止め、心に刻み。

ラストは高井つよしのステージ。
彼とBowieの話をした事はほとんど無いけれど、彼の歌の中にもDavid Bowieが生きている事は、知っている。
何も語らずとも、この日、彼がどんな気持ちで演奏していたのかも、伝わってきた。
寡黙であるが故により強く伝わってきた。
そして何度か涙を流した。

この日、高井つよしのLIVEを観る事が出来て良かった。
そういう夜だったのだ。
終演後少し打ち上げに参加して、その後は、寄り道して、信頼出来るボウイ仲間に会いました。
2人とも、全く受け止めきれていないので、至ってふつうにお互いの困った性癖の事など語り合い、時に爆笑したりしながら数時間を過ごし、解散。

まあ2人とも悲しみを拗らせている最中なので、この後どうなってしまうのか不安ではありますが、図らずも楽しい時間を過ごしてしまいました。
果たしてこれで良いのだろうか?(笑)

その時を境に、何故か、あれほど心に痛かったBowieの新譜『★』を平穏な気持ちで聴くことが出来るようになりました。
ふつうは逆だろう!?とも思うのですが。

次の朝、SNSのタイムラインはDavid Bowieで溢れていました。
自分がどれだけDavid Bowieを愛していたか、近しい存在だったか、今どんなに悲しい気持ちでいるか、David Bowieがどれだけ偉大な存在だったか、本当に色々な書き込みがありました。

しかし、まだこの時点のオレには、何か書けるような心の整理は出来ていませんでした。(今も心の整理は出来てないけど)

そんな中いくつかの書き込みが心に触れ、涙が出ました。具体的に言っちゃうと、belne先生とマドンナ。

そうやって何かが心に触れるたびにちょっとずつ泣いたりしているのですが、ちゃんと悲しむ事は出来ずにおります。

まだこの世界にBowieがいなくなってしまったという事をしっかりと受け止めきれていないオレなので、やっぱりまだまだ「RIP」なんて言葉は出てこないのですが、ひとつだけ心から言える言葉があります。

「ありがとう」

(つづく)


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