~石原謙 ブログ 「景色を聴く、瀬音を見る」(2008.04.22) より転載
 
アルバート・アイラーは伝説的なフリー・ジャズのテナー(saxophone)としてその名を知られているが、一つ特徴的なのは、フリージャズ・ミュージシャンやそのファンまたは、一般的なジャズ方面の人だけではなく、音楽(ロックはもちろん)以外の様々な表現者の中にも熱狂的な支持者がいるということである。
 
詩人・舞踏家・画家・作家‥等々。
自分の古い知り合いに、今は地元(高知)に在住している中山直一(あえて実名を出しますが)という舞踏家がいるが、去年久し振りに地元で会ったおりに、共通の友人が経営する店でかけた曲の最初の2~3秒くらいを聴いただけで「うわっ!アイラーじゃん!」という条件反射?的な反応をみせた。自分はその時点ではまったく気が付かなかったが、要するに本人はそれだけ好きなのである。
 
自分はもちろん(存在を)知ってはいたが、殆ど聴いたことはなかった。
それが、自分の最近の音楽展開の流れの中で「聴いとかなアカン!」という結論が自分の中で下されたに至り、先日のスタジオの帰りに買って聴いてみた。
(CDで買ってしまったが本当はアナログのほうがよかった‥×△)
 
「LOVE CRY」というそのアルバムを、買ってから今日まで毎日聴いてしまっている。
 

LOVE CRY – Albert Ayler

録音されたのが、アイラー自身が師と仰ぐコルトレーンが逝ったその年(1967)とその翌年にかけて。ドラムはミルフォード・グレイブス。弟のドナルド・アイラーがペットで参加している。
 
特に最後の2曲は「師の死から吹っ切れた」とライナーに書かれていたが、それがうかがえるドナルドのペットとアイラーのテナーのユニゾンが凄まじかった。
 
なにより、「感じるもの」「感じさせるもの」がこのレベルまでくると「ロック」や「ジャズ‥etc」というカテゴリーは、もちろん「無意味だ!」、、とは言わないが、そんな垣根は簡単に越えて、感じる者には「音が言語として」強烈に伝わってくるのかもしれない。
 
そして、この3年後の1970年11月25日にアイラーはニューヨークのイースト・リヴァーで変死体として発見される。34歳の若さであった。。
 
遺作となった「LAST RECORDING(Vol.2)」も聴いてみたい。
 
~石原謙 ブログ 「景色を聴く、瀬音を見る」より転載